*人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり~
(じんかんごじゅうねん げてんのうちをくらぶれば むげんのごとくなり~)
織田信長が出陣の前に好んで舞ったとされる平家物語『敦盛』の一節です。
信長は五十歳を目前にして世を去りましたが、それから五百年。今では、百歳を超える人が珍しくない時代になりました。私も、今年で古希──七十歳を迎えました。巷では、高齢化だ、老人が増えすぎだ、と騒ぎ立てていますが、それは経済成長を気にする政治家が考えることであって、私たち庶民にとってはあまり心配することではないと思います。
高齢に足を踏み入れた私たちから見れば、長く生きられるというのは、人類の努力のたま物。実に、喜ばしいことではないかと思うのです。
作家・五木寛之さんのエッセイに『林住期(りんじゅうき)』というものがあります。古代インドのヒンドゥー教の「四住期(しじゅうき)」という人生観が元になっています。人生を四つの時期に分けて、それぞれにふさわしい生き方を説く教えです。学生期(がくしょうき)、家住期(かじゅうき)、林住期(りんじゅうき)、そして遊行期(ゆぎょうき)。
しかし、今では人間は生物学的に百二十歳まで生きられるとも言われています。そこで私は、もう一つ、「仙住期(せんじゅうき)」を加え、人生を五つに分けて考えてみました。
いつまで生きられるかは――それこそ神のみぞ知る、ですね。けれども、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のような物語の中でなら、寿命も時間も、思いのままに操ることができます。
そんな空想にひたりながら、暇にまかせて“もしもの物語”を書いてみました。
一、学生期 ──0歳から二十五歳まで。
私たちは皆、最初は何も知らない赤ん坊としてこの世にやって来ました。 むやみに這いまわり、壁にぶつかり、派手にひっくり返る。そうやって痛みや距離感を肌で知りながら、真っ白なキャンバスのような心に、ひとつ、またひとつと、経験という名の絵の具を落としていくのです。
やがて背が伸び、ランドセルを背負い、社会という枠組みの中へ踏み出す季節が訪れます。教室で強いられる「暗記もの」は退屈で、どうしても好きになれませんでしたが、理科の実験室だけは別格でした。そこには、教科書の文字を追いかけるだけでは出会えない世界の手触りがあったからです。
特に心を奪われたのは、磁石の実験でした。 S極とN極は、なぜこれほど強く引き合い、S同士やN同士は、なぜ頑なに反発し合うのか。
目には見えない力が、確かにそこに存在し、物体を動かしている──その小さな驚異に、胸を躍らせていました。あの頃の私は、ただ目の前の不思議に「なぜ?」と問いかけるだけで、十分に満たされていたのです。
・学び、身につけ、社会に出る準備をする時期です。
二、家住期 ──二十六歳から五十歳まで。
仕事を覚え、家庭を築き、社会の中で生きていく。私の若いころは、まさに高度成長の真っただ中でした。午前様は当たり前、休日出勤も日常茶飯事。三日三晩、仕事漬けでも、不思議と苦にはなりませんでした。若くて体力もありましたし、何より、働くことそのものが楽しかったのです。
冷蔵庫、洗濯機、テレビといった“三種の神器”が人々の暮らしを変え、やがてクーラーや電子レンジが加わると、家庭の中にSF小説に書かれた未来が来たような感覚が広がりました。私はその中で、遠くにメッセージを伝えるための通信端末の設計から製造に関わる仕事に従事していました。多くの先輩方に支えられながら、夢中で仕事に打ち込み歳を取るのを忘れていたほどです。
仕事に没頭する日々の中で、いつのまにか晩婚となりましたが、結婚して子どもが生まれた瞬間の喜びは、人生で最も輝かしいひとときでした。
「この子が大きくなるまで、元気でいなくては」――その願いが、あのとき、私の胸の奥底から湧き上がったことを、今でもはっきりと覚えています。
・社会や家族に貢献し、人生の基盤を築く時期です。
三、林住期 ──五十一歳から七十五歳まで。
がむしゃらに働き続け、会社勤めとしての道のりの先に、ようやくゴールが見えはじめたころのことです。「このまま定年を迎えたら、急にやることがなくなってしまうのではないか」――そんな不安が、ふと胸をよぎりました。高度成長から平成の低成長へと、時代の風が変わりつつあった頃でした。
そこで私は、現役のうちから少しずつ新しい世界へ足を踏み入れ、まわりにいくつもの種をまいておくことにしました。更生を目指す人々の支援活動、お寺での手伝い、地元の川を再生する取り組み、地域の小中学生との交流――どれもが、かつての職場では味わえなかった、人と人との温かなぬくもりに満ちていました。そのおかげで今は、肩の力を抜きながらも、ほどよく張りのある日々を過ごしております。
お金に縛られないボランティアの魅力は、何よりも「自分の好きなことを、自分の歩幅でできる」ことにあります。そこに、長年の会社勤めとは大きな隔たりを感じました。また、この時期に出会った多彩で愉快な人たちも、人生の後半を照らす貴重な灯火となりました。
そして、孫が生まれたときのこと。胸の奥から湧き上がるような喜びと、穏やかな安堵の気持が私を包みました。若いころには想像もしなかった深みをもった幸福であり、「目の中に入れても痛くない」とは、まさにこのことかと、しみじみ思ったものです。
・会社勤務と子育てを終え、自分と向き合い、お世話になった社会に恩返しをする時期です。
四、遊行期 ──七十六歳から百歳まで。
ここから先は、私にとって未経験の領域です。この時期に最も大切なのは、健康と少しのお金でしょう。体という“ハードウェア”に不具合が出てくるのは、もう当然のこと。だからこそ、自分で油をさし、メンテナンスできるように健康について学ぶことは、まさに必修科目といえます。動かさなければ機械も錆びつくように、体もまた、適度に動かし続けることが肝心です。
興味のあることをさらに深めるために学び直したり、気の合う仲間と小さな旅に出かけたり――。そんな日々を大切にして過ごしたいと思います。少し余裕ができたなら、大型船で世界一周という夢にも挑戦してみたいものです。元気であれば、それも決して夢物語ではありません。
時間は十分にあります。何にも縛られず、好きなことをして、好きな人に会い、自由に生きる――。“やりたいことだけをやる”という、ささやかなわがままが許されるのも、この時期の特権かもしれません。
・人生のハイライト。体をメンテしながら好きなことをやって心のままに生きる時期です。
五、仙住期 ──百一歳から百二十歳~。
ここから先は、まさに雲の上の話です。この境地に到達できる人は、よほどの幸運に恵まれ、精進と努力を重ねた、選ばれた人たちでしょう。私の老いの理想は、中国の古いカンフー映画に登場する、長い髭を生やした仙人のような姿の方です。もしかすると、霞(かすみ)を食べているのかもしれません。
百歳を越えたころには、欲がなく、何があっても驚かず、静かな場所で自分が納得したことだけを、ナマケモノのようにゆっくりと続けている――そんな日々を思い描きます。まなざしは遠くを見つめ、宇宙の成り立ちや深遠な哲学を思索している。賊に襲われても、酔拳の達人のように軽やかに身をかわし、筆をとれば花鳥風月の水墨画が自然に紙面を埋め、人生を極めたかのような詩がさらさらと流れ出す――。
そんな、ムダをそぎ落とした澄みきった境地に、少しでも近づけたら幸せだと思います。
・俗世を離れ、精神の自由を極め人生の何たるかをさとる時期です。
かつて、人生は「五十年」と言われていました。しかし今、私たちは「人生百年」の時代を生き、遠からず「人生百二十年」という途方もない歳月を生きる可能性を迎えようとしています。この劇的に延長された時間の中で、私たちの生き方は大きく変わるべきでしょう。
舗装された道を、かつてのように「ゴールを目指して急いで歩く」必要はありません。むしろ、世界のどこへでも縦横無尽に伸びる地図にない道を、思いのままに歩く自由こそが、これからの生き方ではないでしょうか。学び、働き、喜び、そして遊びながら、焦らず、比べず、自分の人生とは何かを少しずつ悟っていく――そんな豊かな探求の日々こそが、長寿の時代にふさわしい歩き方です。
人生を五つの住期に分けて眺めてみれば、どの時期にも、その時々でしか感じられない特別な光と風が待っています。成長の輝き、成熟の深み、そして円熟の静けさ。その一つひとつを大切にするために、私たちはただ一歩ずつ、自分の歩幅で「今」を見つめながら歩き続けること。それこそが、穏やかに生きるための、何よりも確かな秘訣に違いありません。
そもそも、私たちの存在自体が、途方もない奇跡の上に成り立っています。地球上にアメーバもような単細胞の生命が誕生してから、私たちがこうして文章を綴る人間へと進化するまで、実に三十八億年という気が遠くなるような歳月が流れたのです。さらに、銀河系のなかで生命が確認されているのは、今のところこの青い星、地球だけだという事実。これは、なんとも不思議な事実です。
なぜこの世界に生まれ、生きているのか。その答えは、誰にも分かりません。しかし、だからこそ、「この拙い文章を書いている私」という奇跡を深く噛みしめる必要があります。このかけがえのない命の不思議と尊さを胸に、私たちは与えられた人生を、一歩ずつ、そして楽しみながら歩んでいきたいものです。
長く続く人生の道を、思いのままに歩く自由。それは、機械のように正確無比な歩みではありません。私たちはロボットでもAIでもないのです。
機械は誤りませんが、人はしばしば失敗し道に迷います。しかし、この「思い通りにならない」という揺らぎ、失敗という名の不確実性こそが、私たちが生きている何よりの証なのです。完璧さとは無縁の、危うくも美しいその存在に、命の輝きが宿っているのだと思います。
予期せぬ困難に出会ったり、何かがうまくいかなかったりするときは、「ケセラセラ」――なるようになるさ、と静かに現実を受けとめればいいのです。やり損ねたのなら、また立ち上がってやり直せばよい。その許容こそが、人間に与えられた救いです。
私たちは、三十八億年という気の遠くなるような時間をかけて生命を守り育ててきた偉大な自然の上に立っています。私たちには到底棲むことのできない深海で、魚たちが満ち足りた暮らしを営んでいます。自然は分け隔てなく命の流れを支えてくれています。
この大きな流れを疑うことなく信じて身を委ねる勇気。
大海をゆったりと泳ぐマンボウのように、焦らず、比べず、ただ悠々と、自然に身をゆだねて生きていく――。
その穏やかな姿勢こそが、「人生百二十年時代」を、肩の力を抜いて自由に歩むための、究極の智慧なのかもしれません。
人はしばしば、この影の暗がりに立ちすくんでしまうものです。自らの「できないこと」に腐心してわずかな綻びさえも致命的な傷のように感じてしまう。「もっと、こうあらねばならない」と不完全な現実の自分をせめて、深いため息がこぼれ落ちます。
先の文章で、私たちはロボットでもAIでもなく、「揺らぎこそ生きている証」だと述べました。ならば、この揺らぎを、欠点ではなく、人間としての豊かな利点として受け止めてみてはどうでしょうか。
遠くの完璧な自分ではなく、ふと視線を落としてみれば、人生は本来、もっと静かで、もっと豊かなものに違いありません。
窓辺から射し込む朝の光が陽だまりの身体の奥までそっと届く温かさへの感謝。
道脇の陰で、誰に見せるためでもなく懸命に咲く小さな花の姿に気付く感性。
淹れたてのコーヒーの香りが、「今日は何か良いことがあるかも」と根拠もなく信じさせてくれる予感。
こうしたささやかな感動は何の利益にもなりません。実績にもならなければ、履歴書にも書けない。けれど、利益では測れない「心の潤い」こそが、日々の人生の質を底上げしてくれるのではないでしょうか。チルチルとミチルが探した青い鳥が遥か彼方ではなく、いつだって私たちの足元でひっそりと羽を休めているように。
私たちは、三十八億年という気の遠くなるような時間を経て、この不完全な命をいただきました。大海をゆったりと泳ぐマンボウのように、思い通りにならない流れさえも、大きな自然のうねりとして受け入れる。
そして最後に、もっとも難しく、そしてもっとも大切なことを知らなければなりません。
それは、「あるがままの自分を許す」ということです。
つまずいた昨日も、思うようにいかない今日も、すべてを抱えたまま進むしかない。クヨクヨと後悔をなで回しても、未来の景色が変わるわけではないのですから。
不完全なままで、小さな光を拾い集めながら驚きに感動しながら歩いていく。
結局のところ揺らぎに満ちた人生を歩むために必要な言葉は、この一言に尽きるのかもしれません。
「これで、いいのだ!」と。
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