人の世は山坂多い旅のごとし。快食、快眠、快通じ。気はながく、口をつつしみ、腹たてず、心おだやかに命ながらえ。念ずれば、いつか大きな花ひらく。
還暦(かんれき:赤) 六十歳でお迎えのきた時は、やっと人生一回りと言え
古稀(こき:紫) 七十歳でお迎えのきた時は、これから坂の登り口と言え
喜寿(きじゅ:紫) 七十七歳でお迎えのきた時は、せくな老楽これからよと言え
傘寿(さんじゅ:黄) 八十歳でお迎えのきた時は、雨風防ぐ傘さすよと言え
米寿(べいじゅ:黄) 八十八歳でお迎えのきた時は、もう少しお米を食べてからと言え
卒寿(そつじゅ:白) 九十歳でお迎えのきた時は、なんの卒業まだ早いと言え
白寿(はくじゅ:白) 九十九歳でお迎えのきた時は、白髪になっても夢があると言え
百寿(ひゃくじゅ:白) 百歳でお迎えのきた時は、ようやく三桁の山超えたと言え
茶寿(ちゃじゅ:白) 百八歳でお迎えのきた時は、まだまだお茶が飲み足らんと言え
皇寿(こうじゅ:無色) 百十一歳でお迎えのきた時は、天子の後について行くと言え
長寿バンザイ(2021年9月14日)
* 人間五十年 下天の内 をくらぶれば 夢幻のごとくなり~ (じんかんごじゅうねん げてんのうちをくらぶれば むげんのごとくなり~) 織田信長が出陣の前に好んで舞ったとされる平家物語 『敦盛』 の一節です。 信長は五十歳を目前にして世を去りましたが、それから五百年。今では、百歳を超える人が珍しくない時代になりました。私も、今年で古希──七十歳を迎えました。巷では、高齢化だ、老人が増えすぎだ、と騒ぎ立てていますが、それは経済成長を気にする政治家が考えることであって、私たち庶民にとってはあまり心配することではないと思います。 高齢に足を踏み入れた私たちから見れば、長く生きられるというのは、人類の努力のたま物。実に、喜ばしいことではないかと思うのです。 作家・五木寛之さんのエッセイに『林住期(りんじゅうき)』というものがあります。古代インドのヒンドゥー教の「四住期(しじゅうき)」という人生観が元になっています。人生を四つの時期に分けて、それぞれにふさわしい生き方を説く教えです。学生期(がくしょうき)、家住期(かじゅうき)、林住期(りんじゅうき)、そして遊行期(ゆぎょうき)。 しかし、今では人間は生物学的に百二十歳まで生きられるとも言われています。そこで私は、もう一つ、 「 仙住 期(せんじゅうき)」 を加え、人生を五つに分けて考えてみました。 いつまで生きられるかは――それこそ神のみぞ知る、ですね。けれども、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のような物語の中でなら、寿命も時間も、思いのままに操ることができます。 そんな空想にひたりながら、暇にまかせて“もしもの物語”を書いてみました。 一、学生期 ──0歳から二十五歳まで。 私たちは皆、最初は何も知らない赤ん坊としてこの世にやって来ました。 むやみに這いまわり、壁にぶつかり、派手にひっくり返る。そうやって痛みや距離感を肌で知りながら、真っ白なキャンバスのような心に、ひとつ、またひとつと、経験という名の絵の具を落としていくのです。 やがて背が伸び、ランドセルを背負い、社会という枠組みの中へ踏み出す季節が訪れます。教室で強いられる「暗記もの」は退屈で、どうしても好きになれませんでしたが、理科の実験室だけは別格でした。そこには、教科書の文字を追いかけるだけでは出会えない世界の手触りがあったからです。 特に心を奪われた...
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