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▶横浜南共済病院市民公開講座

  市民公開講座に行ってきました。医師や薬剤師、看護師の方が分かりやすく治療について説明してくれます。11月21日は14時半から始まって16時すぎまで講義がありました。100人近くの参加がありました。心臓病の話でしたが、薬の飲み方などの基本的なことも教えてもらいました。昔は、心臓が悪い人は運動は厳禁と言われていましたが、無理をしなければ運動をするようにすすめていました。水をのみすぎるのもダメなようですね。これも意外でした。定期的にやっているようなので、また行ってみたいと思います。 横浜南共済病院市民公開講座 https://minamikyousai.kkr.or.jp/news/event/index.html ■ 快眠に向けた12箇条 1.睡眠時間にこだわらない 〇 2.寝る前は刺激物を避け、リラックスする 3.眠くなってから床に就く 〇 4.毎日同じ時刻に起床する 5.朝は明るい光を浴びて、夜の照明は暗くする 6.規則正しい3度の食事と規則的な運動を習慣にする 〇 7.昼寝は15時前に20~30分とる 〇 8.眠りが浅いときは遅寝・早起きをする 9.睡眠中の無呼吸や激しいいびき、足のぴくつき、ムズムズ感は専門医にかかる 10.眠っても日中の眠気が強い時は専門医にかかる 11.寝酒は不眠の原因になる 12.睡眠薬は医師の指示で正しく使えば安全である ■ 認知症予防10箇条 1.塩分と動物性脂肪を控えたバランスのよい食事をとる 〇 2.適度に運動を行い足腰を丈夫にする 3.深酒とタバコはやめて規則正しい生活をこころがける 4.生活習慣病(高血圧、肥満など)の予防・早期発見・治療をする 〇 5.転倒に気をつける。頭の打撲は認知症招く 〇 6.興味と好奇心をもつようにする 〇 7.考えをまとめて表現する習慣をする 〇 8.こまやかな気配りをしたよい付き合いをする 〇 9.いつも若々しくおしゃれ心を忘れない 〇 10.くよくよしないで明るい気分で生活する 〇 ■ 生活習慣を変えるための12ポイント 1.小さな習慣から始める 2.できることから始める 3.頑張りすぎない 4.1人で悩まない 5.仲間を作る 6.記録をする 7.焦らない 8.自分を責めない 9.完璧を目指さない 10.成果が見えるようにする 11.自分で自分を褒める 12.失敗しても後悔しない
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▶認知症サポーター養成講座を受けて感じたこと

▶認知症サポーター養成講座を受けて感じたこと https://kiongaoka.sakura.ne.jp/blog/2025/10/08/ninchishou/

▶人生の五住期(ごじゅうき)を生きる

 * 人間五十年  下天の内 をくらぶれば 夢幻のごとくなり~ (じんかんごじゅうねん げてんのうちをくらぶれば むげんのごとくなり~) 織田信長が出陣の前に好んで舞ったとされる平家物語 『敦盛』 の一節です。 信長は五十歳を目前にして世を去りましたが、それから五百年。今では、百歳を超える人が珍しくない時代になりました。私も、今年で古希──七十歳を迎えました。巷では、高齢化だ、老人が増えすぎだ、と騒ぎ立てていますが、それは経済成長を気にする政治家が考えることであって、私たち庶民にとってはあまり心配することではないと思います。 高齢に足を踏み入れた私たちから見れば、長く生きられるというのは、人類の努力のたま物。実に、喜ばしいことではないかと思うのです。 作家・五木寛之さんのエッセイに『林住期(りんじゅうき)』というものがあります。古代インドのヒンドゥー教の「四住期(しじゅうき)」という人生観が元になっています。人生を四つの時期に分けて、それぞれにふさわしい生き方を説く教えです。学生期(がくしょうき)、家住期(かじゅうき)、林住期(りんじゅうき)、そして遊行期(ゆぎょうき)。 しかし、今では人間は生物学的に百二十歳まで生きられるとも言われています。そこで私は、もう一つ、 「 仙住 期(せんじゅうき)」 を加え、人生を五つに分けて考えてみました。 いつまで生きられるかは――それこそ神のみぞ知る、ですね。けれども、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のような物語の中でなら、寿命も時間も、思いのままに操ることができます。 そんな空想にひたりながら、暇にまかせて“もしもの物語”を書いてみました。 一、学生期 ──0歳から二十五歳まで。 私たちは皆、最初は何も知らない赤ん坊としてこの世にやって来ました。 むやみに這いまわり、壁にぶつかり、派手にひっくり返る。そうやって痛みや距離感を肌で知りながら、真っ白なキャンバスのような心に、ひとつ、またひとつと、経験という名の絵の具を落としていくのです。 やがて背が伸び、ランドセルを背負い、社会という枠組みの中へ踏み出す季節が訪れます。教室で強いられる「暗記もの」は退屈で、どうしても好きになれませんでしたが、理科の実験室だけは別格でした。そこには、教科書の文字を追いかけるだけでは出会えない世界の手触りがあったからです。 特に心を奪われた...

▶鼻血と侮ることなかれ(20240107)

私は、トイレで読書することを習慣にしています。長いときは、3〜40分立てこもって読んでいることがあります。年が明けて、2024年1月2日、いつものように本を2、3冊持ってトイレに入りました。快調にお通じもあり、読書も佳境に入ったとき、左の鼻にさ〜っと鼻水のようなものが流れる気配がしました。手の甲で拭ってみると鼻血でした。急いでトイレットペーパーを鼻に詰めて静かにしていましたら止まりました。元旦に、少し酒を飲みすぎたので、そのせいかと思っていました。 翌日の1月3日もトイレで鼻血が出ました。何もしないのに鼻血が出るのはおかしいなと思って血圧を測りましたら、200近くありました。いつもは150くらいなので、これはヤバイと思いました。でも正月の三が日で病院が休みですので、明日まで静かにしてようと思いました。1月4日は、朝、ふとんに寝ている時に溢れ出るように鼻血が出ました。確実に悪くなっている感じです。 ネットで調べましたら、鼻血はあまり心配することはないが、重篤な病気が隠れていることがあるなどと、嫌なことが書いてあります。耳鼻科の先生の記事が多かったので、近くの耳鼻科に行くことにしました。休み明けなので、混んでいて11時に入って診察が始まったのが15時を過ぎていました。その間に、また鼻血が出るのではないかとハラハラしていました。 先生は、何も言わずにファイバースコープのようなもので鼻を見てシュシュとクスリをかけました。それから血圧を測るように看護師に指示を出しました。別室で家にあるのと同じ電子血圧計で測りました。190くらいありました。先生はその数値を見るやいなや、これは、耳鼻科では治らないから内科に行ってくれと言われました。 よくこんな高血圧を放っておいたものだね、すぐに血圧を下げるクスリをもらって飲んだ方がいいと言われました。鼻血が出なかったら、脳や心臓の血管が切れていて大変なことになっていたかもしれない、鼻血が出たことは幸運だったと思った方がいいと言われました。 実は、会社の健康診断の時に、何年も血圧が高いと言われていました。でも、どうにか食事療法で治らないかと塩分をとらないように心がけてきました。ついに来る時が来たかと思いました。翌日、近くの内科に行きました。水銀の血圧計で測ってもやはり高い数値でした。聴診器をあてて体の様子を見た後に血圧を下げるクスリを処方してく...

アントニオ猪木の最後の言葉

 NHKで「 燃える闘魂 ラストスタンド~アントニオ猪木 病床からのメッセージ~ 」というドキュメンタリーを観た。猪木の半生と難病と戦っている姿をまとめたものだ。 「元気があれば何でもできる!」と言っていたが、さすがの猪木も老いには勝てず元気がなくなってしまったのは残念だった。今ままで言ってきたことはぜんぶ嘘だったと笑って本音を語っていた。 番組の中で経験に勝るものなしという言葉があった。どんな本を読んでも映画を見ても、この痛さは他人には分からない。痛いのは俺だ。経験した自分にしか分からない。文字や映像は全てまやかしで本当のことは経験した自分でしか分からない。 世界中の美味しいものを食べた。大トロだろうが、血の滴ったレアーのステーキだろうがうまいとは思わない。今になって感じるのは、いちばん美味いものは、コンビニの冷やし中華だということが分かった。 自分のやりたいことはすべてやった。これからは天国の馬場さんとタッグを組んで大暴れしてみたい。 最後まで猪木節は健在だった。

長寿の心得

人の世は山坂多い旅のごとし。快食、快眠、快通じ。気はながく、口をつつしみ、腹たてず、心おだやかに命ながらえ。念ずれば、いつか大きな花ひらく。 還暦(かんれき:赤) 六十歳でお迎えのきた時は、やっと人生一回りと言え 古稀(こき:紫) 七十歳でお迎えのきた時は、これから坂の登り口と言え 喜寿(きじゅ:紫) 七十七歳でお迎えのきた時は、せくな老楽これからよと言え 傘寿(さんじゅ:黄) 八十歳でお迎えのきた時は、雨風防ぐ傘さすよと言え 米寿(べいじゅ:黄) 八十八歳でお迎えのきた時は、もう少しお米を食べてからと言え 卒寿(そつじゅ:白) 九十歳でお迎えのきた時は、なんの卒業まだ早いと言え 白寿(はくじゅ:白) 九十九歳でお迎えのきた時は、白髪になっても夢があると言え 百寿(ひゃくじゅ:白) 百歳でお迎えのきた時は、ようやく三桁の山超えたと言え 茶寿(ちゃじゅ:白) 百八歳でお迎えのきた時は、まだまだお茶が飲み足らんと言え 皇寿(こうじゅ:無色) 百十一歳でお迎えのきた時は、天子の後について行くと言え 長寿バンザイ(2021年9月14日)

老いを受け入れ幸福に生きる

NHK スペシャル「認知症の第一人者が認知症になった」という医師で研究者の長谷川和夫さん( 90 歳)の番組を観ました。 曜日を忘れてしまうほど物忘れが激しく日めくりカレンダーを使っているということでした。そんな長谷川さんが、楽しみにしているのが、行きつけの喫茶店で飲む一杯のエスプレッソコーヒー。本当に幸せそうな良い表情でした。この番組で長谷川さんは、 “ 認知症は不便だが、決して不幸でない ” と言われていました。 私も、還暦を過ぎたあたりから急に物忘れが増えて、それが原因で家族との諍いが起こるようになりました。これから認知症とどう対峙していくかを考えていましたが、この番組を観て考えが変わりました。 歳を取ると若い人のようにグランドを速く走ることはできません。脳の機能も同じではないのか。脳の機能が衰えるのは当たり前。認知症は、程度の差はあるにしても誰でもなるもの。それを受け入れていこうと考えるようになりました。 人の名前や昨日の夕食のメニューくらい忘れたって大したことではありません。好きなことを見つけて、 生活を楽しむことが出来れば良いと思います。モノは忘れても何かを考えるという営みは続きます。その人が持っているパーソナリティは、どんな状況になっても決して変わらないと思います。人生100年時代を迎えようと しています。長谷川さんのメッセージを忘れずに、これからの人生を前向きに歩んでいきたいと思います。