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ルーの三原則の効用


ルーの三原則という法則を中学の保健体育の授業で、ポン太というアダ名の先生から学んだ。野球の試合で負けるとバットでお尻をどつかれた。今だったらマスコミネタだろう。そのポン太先生も数年前に亡くなった。

ルーの三原則は「筋肉の機能は適度に使うと発達し、使わなければ退化し、使い過ぎれば障害をおこす」というものだ。

中学の頃は、腹筋したり、腕立て伏せをしたり、走ったり、よく運動をしていた。体力が付いてくるのが自分でも楽しみだった。大人になってそういう運動をいつのまにかしなくなった。還暦を過ぎて、この傾向は益々顕著になった。歳をとると体力が衰えるのは、当たり前と考えるようになった。このまま、ポン太先生のように衰えて朽ちるのを待つのかと思うと寂しい気持ちになった。

そんな時、ふと、この法則を思い出した。歳をとるから筋肉が衰えるのでなく、筋肉を使わなくなったから衰えただけではないのか。

お寺の世話人の中に徳井さんと言う人がいる。九十歳を過ぎているのだが、非常にお元気で、お寺対抗のボーリング大会にも毎年参加して私よりスコアが良い。

話を聞くと若い頃から運動が得意で、鉄棒の大車輪などもできたそうだ。今でも週に何回かジムに通って体をきたえているのだという。

そこで、一念発起して、自分ももう一度、体を鍛え直そうと思った。でも、時間がない。そこで、何かをやりながら鍛えるというマルチタスクを考えた。毎日、ドライヤーで髪の毛を乾かす。その時に足の屈伸運動をやることにした。ドライヤーをかけながら毎日30回、しゃがんでは立ち上がるという動作を繰り返す。最初は、かなりきつかったが、次第に楽になり、もう半年続けているが、やらないと気持ち悪いほど習慣化した。

せいぜい、5分位だが、この運動をやるようになってから、駅の階段を登るのが苦にならなくなった。草取りをやっても、よっこらしょということはなくなった。太ももに張りが出てきたようにも感じる。ポン太先生のルーの三原則のおかげである。

これは、筋肉への適用だが、脳にも当てはまるのではないかと最近思えてきた。認知症が社会問題になっているが、脳を使わないことによる衰えではないかと考えている。私が尊敬する、外山 滋比古さんという人がいる。ベストセラーの思考の整理学を書いた人だが、この人も、もう九十歳を過ぎているが、さかんに本を出している。年取ってますます筆が冴えて認知症とは全く無縁だ。最近の著書の中で、脳にもメタボリック症候群というものがあると言っている。脳が記憶しすぎて余計なことが頭の中にたまりすぎている状態だという。それを解消するには、忘却力が大切と説いている。忘れることが大切とは、受験生が聞いたらひっくり返るだろう。

年をとって、物忘れが激しいと嘆くより、忘却力が増えて、脳が健康になってきた、と思ったほうがよほど気持ちが明るくなる。自分で実践して証明したいと考えている。(20190829)

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