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「沈黙の春」 平成16年3月28日



「沈黙の春」 平成16年3月28日

日曜日、晩飯を食たべたあと、ホロ酔い気分で耳掃除をしていた。弾力のある竹の耳かきで刺激している と大変気持が良い。まさに至福の一時である。閑にまかせて耳をホジホジしながら話に夢中になっていると、急に、右の耳にが~んという衝撃が走った。始め は、何が起きたか分からなかった。しばらくすると、キ~ンという音になり止まなくなった。壊れたテレビが発する信号音と同じかん高い音だった。耳の奥がず きんと痛い。耳掃除をしている右腕に子供が激突してきた。その拍子に耳の奥に耳かきが刺さったのだ。耳かきは、絨毯の上に飛んでいた。あまりの痛さに右耳 を抑えてうずくまった。出血はしていなかった。鼻をつまんで息を込めてみると耳からかすかに空気がもれていた。大変なことになった。鼓膜が破れたのかもし れないと、とっさに思った。

それから、右耳が聞こえなくなった。まるで水の中にもぐっているようだ。耳の周りは感覚がなくなっ て、麻酔を打たれたようになっている。色々な音を聞いてみると、特に高い音が聞きとりにくい。自分の声は、こもっているが聞こえてくる。これは、鼓膜から 聞こえているのでなく、体の中から骨を通して聞こえているようだ。テレビの音、特にバイオリンなどは聞き取りにくい。打楽器は比較的聞きやすい。みんなが 寝静まったあとに試してみると、鉛筆が紙にこすれて、カリカリと出すような微妙な音が聞こえないということがわかった。

時間が経って風呂に入ってみても右耳の感覚は戻らなかった。寝るとき、いろんな事を考えた。このま ま、耳が聞こえなくなってしまうのだろうか。エジソンの話を思いだした。エジソンの耳が聞こえなくなったのは子供の頃に新聞売りのアルバイトをしていた時 に、電車に乗り遅れそうになって駅員に耳を持って引っぱられたのが原因と言われている。最初は、片方の耳だったが、反対の耳も聞こえなくなった。エジソン は、耳が聞こえないことを少しもハンディにはせず、歯から伝わる振動音を聞きながら、レコードプレーヤを発明したのだ。そんなことを考えていると少しは気 が楽になった。

月曜日、昨晩は良く眠れた。朝まで耳が痛むということは無かった。しかし、依然として右耳の感覚は麻 痺したままだった。病院に行く事にした。薬局で紹介された耳鼻科に行った。新しいビルで1階がコンビニで2階が病院になっていた。階段に先生が描いたらし い油絵や高価そうな置物が置いてある。診療室も綺麗で最新式の設備が揃っている。中に入るとかなり混んでいた。初診と告げると簡単な問診票を渡された。先 生は、マスクをして頭に小さい凹面鏡をつけていた。その中心に豆電球がついていて、それで耳の中を照らす様になっている。その電球が切れていたとかで看護 婦をかなりきつく叱っていた。息子を若先生と呼ばせているようだった。横暴な先生だという印象を持った。

椅子に座ると、すぐに耳に小さいジョウロのような器具をさし入れて覗きこんだ。患者の話を良く聞かず に機械的に仕事をこなしているようだった。ちょっと見て急性の中耳炎だと言った。中耳炎というと耳に水が入って炎症を起こすものと思っていたが、今回のよ うに外傷によるものもそう呼ぶのかと思った。鼓膜は破れていなく、鼓膜の付け根と鼓膜の一部が赤く腫れているということであった。先生は、別に驚いた様子 も無く淡々と仕事をこなしていた。耳にガーゼのような物を入れて、薬をたらした。そのあと、赤外線を3分間耳にあてるという中耳炎の治療を行った。それを やっても、右耳のこもったような聞こえ方は変わらなかった。2種類の飲み薬と点耳剤がでた。

火曜日、朝一番で病院に行った。9時少し経って、呼ばれた。椅子に座ると、先生は、開口一番、姿勢を 正しなさいと言った。姿勢が悪いと良い仕事ができない、というような事を小声で言った。学校の先生が生徒を叱るような言い方だった。例の通り、小さなジョ ウロで耳を覗いて、半分くらい腫れが引いていると言った。しかし、依然として、右耳はボーンとした状態だった。その日の夜、女房に点耳剤を入れてもらった あとに、綿棒で耳をぬぐってみた。血の固まりのようなものがついていた。ジーという虫の鳴くような音が聞こえ始めた。時々、耳の奥でガサッという音がし た。

水曜日、朝、ティッシュペーパーを丸めて耳に入れると血がついていた。道を歩いていると、いつもと何 か違うという感じがした。片方の耳が聞こえなくなると言うだけで随分世界が変わってしまうものだと思った。世の中には、耳の聞こえない、目の見えない、喋 れない、歩けないなどの障害を持った人たちが沢山の人たちがいる。彼らは、独自の世界観を持っているのだろう。旅行ガイドをいくら読んでも、2泊3日のツ アー旅行での体験にはかなわないように実際に自分で体験してみないとわからない。障害を持っているから、可愛そうとかいう発想は、健常者からの一方的な見 方ではないだろうか。彼らは健常者には決して理解できない、それぞれの世界観を持っているのだから、そのことに他人から、とやかく言われたくないに違いな い。今の僕は、片耳が聞こえるのでこんなことを言えるが、両耳とも聞こえなくなったらと思うと心配になった。

金曜日、いつもと同じ時間に耳鼻科に行った。まだ聞こえないというと、耳の断面図を見せて、鼓膜の内 側の管が詰まっていると言うことだった。鼻につながっている管のようだ。これはおかしいのではないかと思った。鼓膜が破れていないというのに、鼓膜の内側 が傷むことがあるのだろうか。看護婦さんに押さえつけられて鼻から先生に細いブラシのような物を刺し込まれた。そのブラシは煙突掃除に使うハケの小さいや つだ。音がするというので聞いているとガンガンという音がした。何度かゴシゴシやって治療は終わった。少しも聞こえるようにならなかった。この前と同じ薬 が出た。その治療の後、逆に聞こえにくくなったように思えた。今日の治療で、この医者にかかっていて良いのだろうかと不信感がつのった。

会社で同僚に話をすると、医者を変えたほうが良いのではないかと言われた。以前通っていた会社の近く の耳鼻科に行ってみた。ドアにかかっている看板は壊れかかっているし、時間が止まったように4~5年前に来た時と同じように、継ぎの当たったソファーがあ る待合室は全く変わっていなかった。立花隆に似ている先生は少し老けたようだった。人気のいない待合室で順番を待っていると、先生が電話をしている声が聞 こえてきた。どうやらカード会社からのようで、預金が足りなくて引き落とせないという電話のようだった。医者なのにそんなに金に困っているのだろうかと心 配になった。診察室に入ると、どうしたんだと聞くので、日曜日に起こったことを伝えた。話をしていくうちに、次第に顔が険しくなった。何が刺さったんだと 聞きなおしたので耳かきと伝えるともっと厳しい顔になり、すぐに耳の中を覗いた。鼓膜がぐしゃぐしゃに破れていると言うことだった。横になって、薬を耳に 差された。直るのでしょうかと聞くと、先生はきっぱりと直ると言った。しかしすぐには直らないよと言った。1ヶ月位かかるとぼそっと言った。しかし、この 診断でようやく納得できた。

鼓膜に穴が空いてから2週間以上経ったが、まだ、聞こえなかった。先生に言うと色々と今後の治療につ いて教えてくれた。耳が聞こえない原因は2つ考えられる。一つは、鼓膜が破れたことが原因、もう一つは、内耳の聴覚神経が損傷を受けている場合が考えられ る。それを調べるには、鼓膜の穴にパッチという小さな紙を貼るのだそうだ。貼っても聞こえない場合は、神経がやられているらしい。鼓膜の穴は、放っておい ても小さくなるものらしいが、まれに、穴が塞がらずに残ることがあるらしい。その時は、耳の裏の皮を剥がして鼓膜に貼るのだと言う。痛そうな話だ。鼓膜の 再生を早めるためには、穴の空いた傷口に硝酸銀水溶液を塗ると良いと言う。懐かしい名前が出てきた。硝酸銀水溶液は、理科の実験で銀を抽出するのに使った 記憶がある。今日は、その治療をやってくれた。この病院には検査の設備がないという理由で大きい病院での精密検査を薦められた。

次の日、会社を休んで近くの大学病院へ言った。この病院は親父の付き添いや、子供の出産とかで何度も 来ているが自分でかかるのは始めてだった。大病院だけあって、システム化が進んでいる。総合受付で登録を済ませると、書類が電算係りにまわって、磁気カー ドが出来る。これで、僕のマスターファイルが出来たのだろう。次回からは、このカードを通すだけで事が済むようになっていた。耳鼻咽喉科は3階だった、 待っていると、マスクをした看護婦さんに耳の検査をするのでこっちに入るように言われた。3畳くらいの窓のない狭い部屋に通された。入ると部屋を密閉する ためにドアをきつくしめられた。看護婦さんとこんな狭い部屋に2人きりになると、ちょっとドキドキした。僕は、ドアに向かって座らされて、ヘッドホーンを つけられた。信号音がしたら、このボタンを押してくださいと言った。次に水の流れるような音を聞かされた。この音がなってもボタンを押さないでくださいと いうことだった。どうやらその音はホワイトノイズのようだった。ピーとかポーとかいう音程と音量を変えた連続音が何度もした。その都度ボタンをおした。慣 れてくると聞こえていても面倒になって押さないこともあった。両耳を別々に測定して検査は終わった。

診察の番が来た。この先生も、良く話を聞いてくれた。今までの出来事を全て話した。先生は、看護婦さ んに耳の中を見るファイバースコープのようなものを用意させて耳の中に入れた。小さなディスプレイに鼓膜が大きく写し出されていた。カラープリンタがつい ていた。両耳の写真をとった。先生は2枚の写真を置いて説明してくれた。正常な左耳と比較すると右耳には、確かに大きな穴が空いていた。周りに血の固まり のようなものも見えた。それから、先ほど検査を行った結果のグラフを取りだした。横軸が周波数、縦軸が聞こえの大きさを表していた。左耳が青色、右耳が赤 色の折れ線になっていた。さっきの検査は、耳の周波数特性を計っていたことがわかった。赤い線をみると確かに周波数の高い部分が聞こえにくくなっている。 グラフの中ほどに印がしてあり、この部分に神経をやられている兆候がでていると言った。でも、誤差の可能性もあるので、完全に鼓膜がふさがってからでない と本当のことはわからないと言った。神経をやられていると治療の術がないというような悲観的なことも言った。この先生も、硝酸銀水溶液を傷口に塗ってくれ た。来週の水曜日にもう一度来るように言われた。

医者と言うのは、患者にとっては神様のようなものだ。言われたことを信じるしかない。しかし、医者も 人間である限り、誤診というものは必ずあると思うべきだ。医者の言うことを鵜呑みにするのは危ない。耳だったから良かったものの、内臓疾患などだったら危 ないところだった。インフォームドコンセントは、患者に病状をちゃんと説明する義務ということだが、逆に患者の話を良く聞いてくれるかどうかが良い医者か どうかを見分けるチェックポイントになりそうだ。病気を直してくれるのが医者、そのためには、人を人として扱ってくれる良い医者にかかりたいものだ。

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