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3月, 2019の投稿を表示しています

マレット変形って知っていますか?(2019/3/20)

金沢八景から朝比奈に抜ける環状4号線は、中世のころは金沢と鎌倉を結ぶ重要な道であった。金沢は深い入江になっていて古くから塩が作られていた。鎌倉にも材木座海岸などがあるが潮の流れが激しく、塩作りには向いていなかった。この道を使って経済の中枢であった鎌倉に金沢から塩を運んだのである。 文献を紐解くと、この道には関所があり通行料を徴収して、その上納金を金沢文庫の称名寺改修に使っていたと書いてある。それほど交通量があった。七百年も前の話である。今では、国道16号線が幹線道路になっているが太平洋戦争の時に横須賀に物資を運ぶために整備されたもので新しい。大道(だいどう)という地名に歴史の痕跡が残っている。近くの葉山にも大道という地名があるが、こちらは“おおみち”と読むようである。 この道にもバスが通った。戦後すぐの頃は木材を燃料にする木炭バスが走っていたそうだが、私が最初に乗ったバスは、すでにガソリン車だった。床は板張りで腐食防止に塗られた油が鼻についた。皮のカバンを下げた車掌さんが鋏で丸い穴を開けては切符を売っていた。ワンマンバスになって降車通知ボタンや音声案内が入って便利になったが車内は殺伐としてしまった。 12月11日、その日も金沢八景までバスに乗った。朝寝坊して家を出るのが遅くなった自分が悪いのだが、こんな時に限ってバスがなかなか来ない。ようやく来たバスに飛び乗り、八景に着くと電車の発車時間が迫っていた。改札まで走らないと間に合わない。シーサイドラインと京急の金沢八景駅をつなげる工事をやっていて足元が悪かった。 改札の近くまで来て小さなコンクリの塊を飛び越えようとした途端に体が宙に浮いたように感じた。次の瞬間、景色がぐるりと回り、もんどり打って倒れた。右肩にカバンをかけていたので体を支えようとして左手の指を地面についた。転んだことを悟られないように急いで立ち上がってズボンの土をはらってホームに急いだ。左ひざが擦りむけて薄くなったズボンから血の滲んだ肌が透けて見えていた。 電車に乗ってケガの状態を確認すると、膝や手のひらの痛みはそうでもないが、左手の中指の第一関節が曲げにくくなっていた。無理をして曲げようとすると関節の部分が白く変色して中で何か小さなかけらが動くような気がした。転んですぐは痛みがなかったが、時間が経つにつれて痛みだした。その日は、地元の...

ミクロの決死圏  平成16年9月9日

ミクロの決死圏  平成16年9月9日 バリウムのどろりとした白い液体を飲んでください、とガラスごしに、めがねをかけた男の人が言った。 胃の中に行き渡るように体がぐるぐる回された。かなりつらい体勢が強いられた。検査の途中で何度も同じ個所のレントゲン写真を取られたとき、めがねの男の 人が眉にしわを寄せたのを見逃さなかった。もしかしたらという思いがよぎった。悪い予感は的中した。何日かして、1枚の白い紙が送られてきた。評価はD。 胃カメラによる再検査が必要ということであった。胃に潰瘍の跡が見受けられるという所見であった。それ以来、急に鳩尾(みずおち)のあたりに重い痛みを感 じるようになった。食欲もめっきりなくなった。何をやっていても胃の中が気になって物事に集中できなくなった。検査までのいやな数週間を過ごした。 検査の場所はバリウムを飲んだビルの3階だった。何人かの中年のおじさんたちが、長イスで待ってい た。その中の1人かと思うと仲間意識が涌いてきたが、喋っている人など1人も居ない。胃カメラが始まるまで随分待たされた。心の準備をするためには、これ くらいの時間は必要なのだろう。緊張のためか血圧はいつもより高目だった。その後、胃をやわらかくするという注射をされた。それから、ゼリーのような麻酔 薬の入った液体を飲まされた。喉に麻酔をかけるということで、1分間は、喉の所にためて、その後2分間はその薬が自然に喉に流れるのを待つようにと言われ た。次第に喉の感覚が無くなってきた。診察室の中からは、うめき声が漏れてくる。いよいよかと思って待っていると看護婦さんに呼ばれた。口の中にスプレー のようなものを吹きかけられて診察室に通された。 中には、優しそうな看護婦さんと、胃カメラを持った白衣を着た若い男の人が立っていた。この人は医者 なのか、カメラを操作する技師なのかと思ったが、もはや、そんなことを詮索する余裕は無かった。まな板の鯉とはこのことだろう。左側を下にして横になり、 口にマウスピースのようなものを入れられると気持ちが落ちついてきた。体がジタバタしても始まらないと悟ったのだろう。目の前に10インチくらいのディス プレイが置いてある。白衣の男は無造作に何の前触れも無く口の中に胃カメラを挿入していった。その一部始終が小さいディスプレイに映し出されている。まる でミクロの決死圏の乗組員にな...

「沈黙の春」 平成16年3月28日

「沈黙の春」 平成16年3月28日 日曜日、晩飯を食たべたあと、ホロ酔い気分で耳掃除をしていた。弾力のある竹の耳かきで刺激している と大変気持が良い。まさに至福の一時である。閑にまかせて耳をホジホジしながら話に夢中になっていると、急に、右の耳にが~んという衝撃が走った。始め は、何が起きたか分からなかった。しばらくすると、キ~ンという音になり止まなくなった。壊れたテレビが発する信号音と同じかん高い音だった。耳の奥がず きんと痛い。耳掃除をしている右腕に子供が激突してきた。その拍子に耳の奥に耳かきが刺さったのだ。耳かきは、絨毯の上に飛んでいた。あまりの痛さに右耳 を抑えてうずくまった。出血はしていなかった。鼻をつまんで息を込めてみると耳からかすかに空気がもれていた。大変なことになった。鼓膜が破れたのかもし れないと、とっさに思った。 それから、右耳が聞こえなくなった。まるで水の中にもぐっているようだ。耳の周りは感覚がなくなっ て、麻酔を打たれたようになっている。色々な音を聞いてみると、特に高い音が聞きとりにくい。自分の声は、こもっているが聞こえてくる。これは、鼓膜から 聞こえているのでなく、体の中から骨を通して聞こえているようだ。テレビの音、特にバイオリンなどは聞き取りにくい。打楽器は比較的聞きやすい。みんなが 寝静まったあとに試してみると、鉛筆が紙にこすれて、カリカリと出すような微妙な音が聞こえないということがわかった。 時間が経って風呂に入ってみても右耳の感覚は戻らなかった。寝るとき、いろんな事を考えた。このま ま、耳が聞こえなくなってしまうのだろうか。エジソンの話を思いだした。エジソンの耳が聞こえなくなったのは子供の頃に新聞売りのアルバイトをしていた時 に、電車に乗り遅れそうになって駅員に耳を持って引っぱられたのが原因と言われている。最初は、片方の耳だったが、反対の耳も聞こえなくなった。エジソン は、耳が聞こえないことを少しもハンディにはせず、歯から伝わる振動音を聞きながら、レコードプレーヤを発明したのだ。そんなことを考えていると少しは気 が楽になった。 月曜日、昨晩は良く眠れた。朝まで耳が痛むということは無かった。しかし、依然として右耳の感覚は麻 痺したままだった。病院に行く事にした。薬局で紹介された耳鼻科に行った。新しいビルで1階がコンビニで2階が病院になっ...