金沢八景から朝比奈に抜ける環状4号線は、中世のころは金沢と鎌倉を結ぶ重要な道であった。金沢は深い入江になっていて古くから塩が作られていた。鎌倉にも材木座海岸などがあるが潮の流れが激しく、塩作りには向いていなかった。この道を使って経済の中枢であった鎌倉に金沢から塩を運んだのである。 文献を紐解くと、この道には関所があり通行料を徴収して、その上納金を金沢文庫の称名寺改修に使っていたと書いてある。それほど交通量があった。七百年も前の話である。今では、国道16号線が幹線道路になっているが太平洋戦争の時に横須賀に物資を運ぶために整備されたもので新しい。大道(だいどう)という地名に歴史の痕跡が残っている。近くの葉山にも大道という地名があるが、こちらは“おおみち”と読むようである。 この道にもバスが通った。戦後すぐの頃は木材を燃料にする木炭バスが走っていたそうだが、私が最初に乗ったバスは、すでにガソリン車だった。床は板張りで腐食防止に塗られた油が鼻についた。皮のカバンを下げた車掌さんが鋏で丸い穴を開けては切符を売っていた。ワンマンバスになって降車通知ボタンや音声案内が入って便利になったが車内は殺伐としてしまった。 12月11日、その日も金沢八景までバスに乗った。朝寝坊して家を出るのが遅くなった自分が悪いのだが、こんな時に限ってバスがなかなか来ない。ようやく来たバスに飛び乗り、八景に着くと電車の発車時間が迫っていた。改札まで走らないと間に合わない。シーサイドラインと京急の金沢八景駅をつなげる工事をやっていて足元が悪かった。 改札の近くまで来て小さなコンクリの塊を飛び越えようとした途端に体が宙に浮いたように感じた。次の瞬間、景色がぐるりと回り、もんどり打って倒れた。右肩にカバンをかけていたので体を支えようとして左手の指を地面についた。転んだことを悟られないように急いで立ち上がってズボンの土をはらってホームに急いだ。左ひざが擦りむけて薄くなったズボンから血の滲んだ肌が透けて見えていた。 電車に乗ってケガの状態を確認すると、膝や手のひらの痛みはそうでもないが、左手の中指の第一関節が曲げにくくなっていた。無理をして曲げようとすると関節の部分が白く変色して中で何か小さなかけらが動くような気がした。転んですぐは痛みがなかったが、時間が経つにつれて痛みだした。その日は、地元の...